ぼくにはなにがある?

早坂大輔「ぼくにはこれしかなかった。」を読んだ。なんだか本当に突き刺さってくるものがある。

今のサラリーマンの仕事を始めてやっと1年が経とうとしている。コロナ禍の変化の中でもそれなりに上手くやれている感触はある。それでも毎週土日が待ち遠しいし、明日の仕事のことを考えると憂鬱になることも多い。これはなぜだろう?なぜ憂鬱なんだろう?考えたこともなかった。

別に誰でもできるであろう仕事を自分がやっている意味ってなんだろう?サラリーを効率よく上げていくための上司とのコミュニケーション術や「やっている感」を出すためのノウハウって、会社が明日なくなったとしたらどこで役に立つんだろう?目の前にいない誰かのためにPCに向かって書き上げるプログラムは誰の役に立っているんだろう?

考えれば考えるほど、明日起きるのが億劫になる。もっとやりたいと思える成すべきことが自分にはある気がする。私にしかできない、私だけの使命がどこかに落ちているんじゃないか。それを探しに旅に出たくなる。でもそれが怖い。今の安定した生活や収入をかなぐり捨てて、何の後ろ盾もない素っ裸の自分になるのがとても怖い。少し我慢していれば、こんなに楽に、安全に、それなりに幸せに暮らせるじゃないか。どうして茨の道を君は選ぶのだね。単純に頭が悪いよ。もう1人の私はそう言っている。

人生を終える時、「ああ、面白かった」と言って死にたい、とインターネットで誰かが言っているのを見た。ものすごく共感した。「面白い」かどうかは、自分の人生でキーワードにした方がいいと思っている感覚であり、面白いと思ったことにはタイミングを逃さないように飛び付いてしがみついてやろうと思っている。今はまだこの「面白い」には、本当の意味では出会ってないのかもしれない。「ぼくにはこれしかなかった」の中でも、とりわけ衝撃的な出会いや原体験はないものの、早坂さんの生い立ちやこれまでの経験、NERDとしての矜持があそこまで彼を突き動かしたのだ。ともすれば、私にだって曲がりなりにも何か、ゆるやかでも、それが強烈でセンセーショナルなものでなくても、「信念」のような、「テーマ」のようなものを持っているはずで、それを見つめて磨いて誰かとシェアして、共感したり認めてもらったりして、初めは小さくてもいいからどんどん輪を広げていく。それが「面白い」んじゃないか。

だから今日からもっと自分のことを見つめたいと思った。それは私以外の誰かのこと、社会のこと、地域のこと、歴史のこと、そうした周りの鏡のようなものと向き合い、反芻し、アウトプットを残す中で、「じゃあ私はどうなんだろう?」という問いをし続けることだと思う。音楽や映画や本に触れて、街に出て色んなお店で色んな出会いをし、自分の頭で考えて、自分の言葉で話して、自分の人生を送るんだ!